His first visit Japan 2014
# 2014年2月のことです。シャームジが前年にヨーガ普及のため、リトアニアに渡ったという話を聞き、筆者の胸に一つの夢が芽生えました。
そのためには、まずシャームジとじっくり話しあわなけばなりません。また、リトアニアのアシュラムで講義をしたというバクティヨーガについても、勉強する必要がありました。
そこで!
以下、画像の説明です。
1)人目をはばかることなく、話を聞けるのはネパールしかない!というわけで、筆者は14年ぶりにネパールの土を踏みました。
カトマンドゥの旧王宮広場にて。「most welcome to Nepal」とにこやかなシャームジ。
このさわやかさは、いったいどこから?
13年ぶりのネパールについて、あれこれいう筆者に、シャームジはいいました。
「変化にフォーカスすれば変化が見える。変化の向こうにフォーカスすれば、不変が見える」
2)シャームジを日本に招聘するには、彼の家族調査も必須です。ネパール人はとかく、親族を呼びよせたがる傾向があるので。
しかし、シャームジの場合は、そんなことは杞憂でした。
次兄夫婦と、甥にあたるサントス、義弟のニテーシュと。カトマンドゥの次兄夫婦宅にて。
純朴な人柄の、素敵な家族です!
3)日本では東京、大阪、山口、福岡でワークショップを展開。
この画像は、日本における活動の最後であるバジャンの会。
バジャンシンガーのユミさん、ハルモニウム奏者佐野朋子さん、日本では屈指のタブラ―奏者逆瀬川健二さん。
参加者全員で、神聖な数九曲のバジャンを歌い上げ、ヨガスタジオのみならず、周辺100キロの空気が清浄になったことを実感しました。
#シャームジの公演のあとには、必ず、彼とのツーショットを望む女性達の長い列ができます。ほほえましい光景ですが、ある写真が強い反響を引き起こしました。
一人の女性が、シャームジの背中に腕をまわしている写真です。拙FBに掲載したところ、
「えーっ!触っていいのですか?」「こんなのあり?」などなど。
# シャームジは当時25歳。バラナシのアシュラムで学ぶ学生でした。
ヒンドゥー文化では、人生を4つの期間に分けます。--学生期、家長期、林住期、托鉢期。
学生期の青年は固く節操を守り、家族の女性以外、身体に軽々しく触れることはありません。ましてやシャームジは僧侶なので、なおさらです。
家長期では結婚し、夫は一家の長としてのカルマヨーガ(行動・実践を通しての霊性修行)に励みます。
林住期は家督を息子に譲り、林などに庵を結び、瞑想の日々。
托鉢期では、その庵さえ捨てて、椀を手に家々をまわります。
# 以上、説明が長くなりましたが、学生期である僧侶シャームジの身体に触れていいのか?--という皆様の声に、シャームジ本人に聞いてみました。
彼はじっくり画像を見つめ、こういいました。
「彼女は僕のドーティ(腰布)に触れただけだ。もしも彼女が僕のボディに触れたら、僕はすぐに彼女を離した」
5)初めてのUNIQLO。
「ああ、モノが多くて混乱しちゃうよ」といいつつ、しっかり買い物。
すべてに慎重なシャームジはUNIQLOでも試着室にこもり、滞在先の部屋に帰ってからも、
「袖が長くない? この白いパーカ、下に着るシャツに裏毛がくっついちゃうよ。これ、返品しようかどうしようか」
いいえ。返品はできませぬ。あなたはもう値札もタグも外してしまったでしょう。今日一日着ていれば、気にならなくなるわよ。
「本当?」
結局、無地の黒いシャツ、この白いパーカと、UNIQLOで身を固めて、ネパールへ凱旋したのでした。
6)プラーナプラティシュタという神像、ルドラクシャ、宝石などへの入魂儀式。
白いローブ姿のシャームジはパラマハンサ・ヨガナンダを彷彿とさせると評判でした。
この四体の神像は、秋田在住のかたが大きなボストンバッグに入れて、新幹線で持参されたもの。
⁂ この時2014年5月~の滞在は45日間でしたが、彼の帰国後、早くも「Shyamji come back!」の声が。
それにこたえての4年後、2018年の再来日となったのでした。
0コメント