His story--Shyamjiってどんな人(4)
8歳でカトマンドゥのアシュラム(道場)に入った時のこと、18歳でインド・バラナシに来た頃のことを、シャームジは次のようにいっています。
「子どもの頃、アシュラムの生活は本当にキツかった。なにしろ、朝起きると、まず先生達の食事を作り、ベッドを整え、衣服を洗濯するんだからね。僕達生徒が朝ごはんを食べるのはずっとあとさ。
家が恋しくて、よく寝床で泣いたっけ。
アシュラムでは外出日が決まっていて、その日はバスに飛び乗って家に帰り、お母さんに抱きついたんだよ」
「バラナシに来たばかりの頃は、なにしろ食べざかりだからね。アシュラムの質素な食事(一日一度)では足りなくて、いつも腹ペコだった。そのうちに、先生が僕のことを認めてくれて、朝のアラティ( ガンジス川に昇る朝日に向かって行う献火の儀式)をするようになったんだけど、それはセヴァ(奉仕)であって、おカネなんてもらえない。
本当に毎日腹が減って……。一日チャイ(ミルクティ)とビスケットだけの日もあったんだよ。それでも、朝のアラティに任じられたことはとても名誉なことだからね、なんとか続けられた」
「そして、22歳の時に先生が、毎夕のガンガー・アラティプージャをやってよいという許可をくれてね。夕方のガンガー・アラティプージャは見物人がそりゃあ大勢で。ガンジス川も、海外からの観光客を乗せたボートでいっぱいさ。
僕達5名の僧侶も、きらびやかな衣装をまとってね。それはもう、なんといったらいいのか。ここまでこられたことを先生にも、神々にも感謝したよ」
⁂ アシュラムや学校の先生をサンスクリット語では「グル」「グルジ」と呼びます。「ジ」は尊敬をあらわします。今ではシャームジ本人が、インドでも日本でも、「グルジ」と呼ばれて、人々の尊敬を集めています。
ちなみに、ガンジス川のことも、尊敬の意を込めて、インド・ネパールの人々は「ガンガージ」と呼びます。
# 画像(1)ガンガー・アラティプージャの開始を待つインドの人々。
ガンガー・アラティプージャはバラナシ観光の目玉だが、海外からの旅行者よりもインドの民のほうが圧倒的に多い。巡礼の姿も多く見受けられる
画像(2)ガンガー・アラティプージャの進行について、関係者・有力者と議論するシャームジ。有力者(中央の人物)も、シャームジの意見を重んじている
画像(3)ガンガー・アラティプージャのクライマックス散花のシーン。Flower shawer
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