Biggest eauthquake in Nepal / 2015
2015年4月25日、マグニチュード7.8の巨大地震がネパールを襲いました。
震源地はカトマンドゥの北西77㎞付近。ガンダキ県ゴルカ郡サウラパニの深さ15㎞とされています。
# この地震で、シャームジの次兄夫婦の住むアパートは半壊。余震を恐れて、近所の小学校に避難していました。
この時、シャームジはインド・バラナシ。
彼が次兄夫婦と連絡が取れたのは、地震から一週間後でした。すぐさまデイパック一つで、単身バスに乗り、印ネ国境スナウリを越え、余震の続く中、カトマンドゥへ。
「僕はまっすぐ、避難所の小学校へ行って、ビシュヌとイサに合流したんだよ。
ところが、その避難所がひどくてねえ。狭い教室に、横に七列、縦に五列で寝ていたら、近所の人が、そんなところにいないで、うちへいらっしゃい。狭いけど、一部屋あいているからといってくれたんだ。
とともいい人たちでね。今では大きな家族みたいなんだよ」
# アパートのオーナーが提供してくれた部屋は、プロパンガスのコンロが一口。ベッド一つ、タンス一つ。廊下との境にドアはなく、短いカーテンがさがっているだけ。
その部屋で、シャームジ、次兄夫婦の三人は文字どおり、身を寄せ合って暮らしていました。
前年2014年の初来日の折、シャームジの活動を支えてくれた皆様からの義援金、
救援物資を担いで、「超個人的救援」に筆者は赴きました。大地震から12日後の5月6日のことです。
いやはや。到着した翌日に、マグニチュード7.2の最大級の余震に襲われたり、カトマンドゥ全市停電など、いろいろありましたが、このあたりは拙著『ヒマラヤに呼ばれてーーこの世に偶然はない(ヒカルランド刊)』を、お読みいただければ幸いです。
# 余震を怖れる人々、家をなくした人々は粗末なテント生活。給水車もきません。
でも、みんな、明るい、明るい。何かというと、げらげら笑う。私はシャームジに聞きました。「どうしてみんな、こんなに明るいの?」
「だって、家をなくしたのは、みんな、同じじゃないか」
わからない、という私に、シャームジは、「コミュニティパワー」といいました。
「僕達ネパール人は、お祭りや、プージャや選挙や、いろいろなことをシェアしている。
だから、何が起こっても、支えあっていけるんだよ。地域共同体が生きているんだ」
日本が、とりわけ東京が失ってしまったコミュニティパワー。
世界の最貧国といわれているネパール。でも、貧しき者は私達なのかもしれません。
# 画像(1)大震災直後のカトマンドゥ
(2)昨年2018年のハヌマンドゥカの様子
(3)半壊したアパートに立つシャームジ
↓ 2018年11月撮影・大地震から3年半
↓ 震災で半壊した次兄夫婦のアパートに立つシャームジ
この時も彼の目は平安だった
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